コラム(人事管理者)
- 2009/10/07 自分の言葉で語る②「主語を大切に」
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「仕事の目的とは何か?」と聞くと、たいていの人は私の顔色をうかがい思案する。
『この人は何を聞きだしたいのだろう?』と・・
こんなケースでは、どこかの学者さんが話すような教科書的な返答が返ってくるのが通常のように感じられる。
最近富に思うことだが、私も含めて『主語』が不在の会話が多い。
『あなたにとっての仕事の目的は何か』と聞きたいときも、『われわれの仕事の目的とは何か』の場合も「仕事の目的は?」の短い質問で全てが通じるような錯覚がある。
結果として相手と自分の間に誤解やギャップが生じる。
管理者が部下を指導するときに陥るコミュニケーションギャップも実はこの「主語」の存在の有り方に問題があるのではないと感じる。
コミュニケーション能力を云々すると、すぐに話法やテクニックを求めたがるが、『私の仕事は』『あなたの仕事は』と言った主語を設定し、どれだけ的確な表現を短文として表すことができるのかの訓練が必要なのではないだろうか。
試しに、部下に自分の仕事を短文で表現させてみると意外な答えが返ってくるかもしれない。この時、自分の説明の仕方と部下の返答の関係に注目すると、お互いのコミュニケーションに何が不足しているかの発見をもたらすだろう。
短文作りの発見を是非にお勧めしたい。
- 2009/09/04 NO.3 『最強のイエスマンは誇るべきこと?』
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『知りて寝黙する無かれ』
貞観三年、太宗が側近の者に語りました。
政治の中枢機関は重要であるから、あなた達のような人材を登用しているのです。そしてその責任はとても重いといえるでしょう。
もし私の下す命令が適切さを欠くのならば、遠慮なく意見を具申するべきです。
しかし、最近のあなた達は、ひたすら従順に振舞おうとして、イエスマンになり、諫言してくれる者がいないのはとても嘆かわしいことです。
ただ単に言われた事に署名し下に流すだけならどんな馬鹿でも出来ます。そんな役割にわざわざ選りすぐりの人材をおくことは必要の無いことです。
私の叱責を恐れて、知っていながら口を閉ざすということは絶対に許されないものと心得て、命令に不備があればどんどん意見を具申してほしいのです。
貞観政要(じょうかんせいよう)より
貞観政要は唐の時代、君主太宗と家臣の問答を集めたものです。今も昔も管理者と部下の関係は同じようなものだと痛感させられます。
今年は、『最強のイエスマン』と自分を誇る人も出て来てるのですから、なんだかおかしな雲行きだなと感じる1年でした。
変に自分を強く見せたいと上司が思えば、諫言を受容れない頑なさをもたらします。太宗のように、自分の足らざるを認め、他者の言を受容れる度量が必要でしょう。
そういえば今朝ある経営者の方とこんな話をしました。人の器の大小についてです。
「管理者になりきれない人がいる。彼は能力が足らない。つまり器が小さいということなんでしょうか?」と聞かれて私はこう答えました。「器には蓋がついているんじゃないでしょうか。大きな器であっても蓋が閉じていれば物を入れようが無い。器が能力で差し詰め蓋が意欲といえるでしょう。」
蓋が大きく開いていても器が小さければ多くは望めませんし、器が大きくても蓋が閉まっていれば物は入りません。人の器は能力と意欲の2つで決まり、必ず小さいほうがそのキャパシティ(許容量)を決定するのです。
今の足らざるを知り、明日の充足のために努力することが器を広げることなんでしょうね。その為には、足らざるを教えてくれる諫言。大いに結構だと思いませんか。
- 2009/09/04 NO.4 自分の言葉で語る①「仕事とは」
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意外に思うかもしれないが、部下に語る言葉というのは大事なものだ。上司が部下に対して語りかける言葉一つ一つが企業文化(組織風土)を形成していくのだと私は思う。だって、文化は伝承されるものであり、そのためには言葉で自分の頭にある概念を自分以外のものに伝える必要があるからだ。これをコンセプチュアル・スキルと呼ぶらしい。しかし、言葉は、便利な反面その使い方が難しい。特に漠然とした範囲や広がりを個々のレベルで持っているのもで、それが「思い込み」や「思い違い」につながってしまう。そして、ダメな管理者は自分のコンセプチュアルスキルの不足を棚に上げて部下の理解力不足を嘆く。例えばこんな泣言を言うような管理者は、生まれ変る決心をしたほうが良い。「何度言っても同じ過ちを繰り返すんです。私はちゃんと言ってるんですけど・・」言葉の一つ一つの意味を説明する自らのコンセプトを持つ必要がある。今回のコラムは、私が先日ある企業の管理者に話した“言葉”を少し紹介をすることとしよう。(もちろんこれは私の中にある“考え”で、そこの企業の管理者が抱える悩みを察知して話したことだから、皆さんの会社に完全一致することは無いかもしれないが、参考にしていただきたい)仕事とは・ 就職をしたことと、仕事をすることはイコールではない。・ 雇用されていることと、仕事をしていることはイコールではない。・ 出勤しているのと、仕事をしていることはイコールではない。・ 仕事とは、一生懸命に所属することではない。・ 仕事とは一生懸命に時間を費やすことではない。・ 真面目に出勤してくれる人が仕事が出来る人ではない。管理者(マネージャー)は仕事の管理(マネジメント)をするために存在する。人の管理(コントロール)をするのが第一目的ではない。仕事の管理(マネジメント)をするのが大目標だということを忘れてはならない。仕事には必ず次の3要素が存在する。それはQCDだ。① Q(クオリティ)=どこまでの品質(レベル)を実現する事が要求されているのか② C(コスト)=どのくらいのコストの範囲でそれを実現する事が要求されているのか③ D(デリバリー)=いつまでにそれを実現する事が要求されているのか以上の3点が必要となる。つまり、『良い仕事』とは、期待されるQCDを満足させてはじめて言える事なのである。